閉じる

カテゴリから記事を探す

SNSでフォローする

映画とTwitterにおけるネタバレ問題。解決策はタイムラインの「濃度」?

映写機

昨今、Twitterで「ネタバレ注意」という文言を目にしない日はない。また、SNSに限らず、作品の感想が綴られたブログやレビューサイトにも、高確率でネタバレの有無が追記される時代になった。「ネタバレ厳禁派」と「ネタバレ許容派」の火花はネットのあちこちで散り、それを取り巻くトラブルも絶えない。SNSと共に暮らす私たちは、常にネタバレの危険性と背中合わせの生活を送っている。

中でも、映画というコンテンツはネタバレと非常に相性が悪い。旧作ならまだしも、ロードショーの作品は、わざわざ映画館まで出向いて一般料金なら1,800円を支払い鑑賞する。決して、「万人にとってお手軽」な嗜好とは言えない。

だからこそ、どうしても楽しみにしている新作映画が公開された暁には、ネタバレの波をかいくぐり、やっとの思いでスクリーンにまで辿り着く人もいるだろう。その後も、「あとに観る人」のために、Twitterに投稿する内容も慎重に言葉を選ぶ。SNS社会における新作映画鑑賞は、さながら情報サバイバルなのだ。

フォロワーと言い争ったエピソード

「映画とSNS」という切り口だと、私には苦い思い出がある。

数年前、公開を楽しみにしていたある映画があった。ワクワクが抑えきれなかった私は、Twitterで公開前の試写会に招かれたアカウントを探し、その人のツイートを貪るように読んでいた。もちろん、その方々は直接的なネタバレはしない。「誰それが犯人だった」「ラストは〇〇が命を落とす」といった核心的な展開に触れることはなく、「ドキドキした!」「泣けた!」というニュアンスのものが多かった。

そのいくつかをリツイートしながら、私もその映画に対する期待をツイートしていた最中、ひとりのフォロワーからリプライが届いた。「公開前の映画のネタバレは控えてくれませんか?」、という内容だ。

一瞬、よく意味が分からなかった。私からもリプライを返して詳細を聞いてみると、その方にとっては、「その作品を観てどう感じたか」という感情の動きすらネタバレなんだと。そういう認識なので、「ドキドキした!」「泣けた!」等々も目にしたくないのだ、と、そういう背景があった。

その後、互いの「ネタバレの定義」のようなものでリプライ合戦に発展してしまったのが非常に苦く恥ずかしい記憶であるが、この時、Twitterにおけるネタバレの扱いの難しさを痛感したのをよく覚えている。

「なに」がネタバレなのか

確かに、真っ白な状態で、どこまでもフラットにその映画を楽しみたいのなら、「ドキドキした!」「泣けた!」もネタバレになってしまうのだろう。「ドキドキする、とTwitterで見たけど、全然そうならない・・・」「泣けた!という感想を目にしたけれど、最後まで泣けなかった」。そういう先入観が、映画の楽しみを損なわせてしまうのかもしれない。確かに私も、「意外な結末だよ!」と勧められた作品に驚けなかった経験があるので、その気持ちは分かる。

とはいえ、核心的なネタならいざ知らず、作品の全体的な感想すら呟けないというのも、それはそれで息苦しさを感じてしまう。前述の例は「試写会の感想」なので少し性格が異なるかもしれないが、どちらにせよ、公開後も「鑑賞した人」「未鑑賞の人」というふたつの属性は半永久的に存在し続ける。「未鑑賞の人」に作品の感想が届いてしまうという事態は、Twitterを日常的に利用している人こそ、避け難いのだろう。

この点、「ネタバレ」というものは定義が非常に難しい。桃太郎を例にみると、ある人にとっては「鬼を倒す」という結末こそがネタバレだが、別の人にとっては「犬・猿・キジと仲間になる」部分が最も知りたくない展開に該当するかもしれない。もしくは、「主人公が桃から生まれる」というタイトル回収の構造を目にしたくない人もいれば、「お爺さんが山へ芝刈りに行く」すら知らない状態でいたい人もいる。

これを読んでいるあなたの何気ない感想が、ある人にとっては重大なネタバレに該当しているのかもしれない。

つまりは、ネタバレの定義というものは、それを受ける人によって異なってしまう。まさに千差万別。更には、「ネタバレ待望派」とでも言うのか、結末や話のタネをあらかじめ知った上で物語を楽しみたい、という人もいる。「何も知らない状態で物語を鑑賞できる」のがネタバレ厳禁派の尊重したいポイントなのであれば、「全てを知った状態で初見を楽しみたい」というアプローチもあり得るのだろう。

「ネタバレ、特に結末をバラされるのがたまらなく好き」という人々の主張「そこに至るまでの過程を知っていくワクワク感が好き」 – Togetter

映画のネタバレは「いつ」なら許されるのか

では、そんな映画のネタバレは、いつの時点からなら「許される」のか。公開されたらOKか、公開が終わればOKか、ソフトがリリースされればOKか、テレビ放映されたらOKか。厳密に答えてしまうと、その全てにおいてNGなのだろう。いつになっても、「まだ観ていない人」は世の中に存在してしまう。もれなく70億人が観た映画がこの世に存在すれば、自由なネタバレも可能なのかもしれない・・・。

私のTwitterにおける観測範囲内では、ソフトがリリースされて数日経った頃からちらほらとネタバレを含んだツイートを投稿する人が多いように見受けられる。それはネタバレを積極的に発信したい訳ではなく、そこに触れながら作品を語りたい、というリビドーによるものだ。

この点、まだ映画というコンテンツは良い方で、テレビで放映されるアニメやドラマ等では放送時からなし崩しにネタバレが解禁となる傾向にある。録画組や放送が後日になる地方民は、毎度SNSを閉じているのかもしれない。

とはいえ、Twitterにおけるネタバレにはある程度の「配慮」を含ませることができる。代表的なのは『ふせったー』というサービスであり、任意の文字列を自動で〇に変換し、わざわざURLをクリックしなければツイートの全容が分からない形で呟くことができる。大作映画公開後は、タイムラインが〇〇〇〇〇〇だらけになり、何が何だか分からなくなることもしばしばである。

・fusetter(ふせったー)

また、ツイートにはネタバレの内容を載せず、そこに自らのブログやレビューサイトのURLを併記する、という手法もある。いずれも、「あなたが望むなら自分でクリックしてください」というワンクッションを踏ませるものだ。各種映画レビューサイトにも「ネタバレ設定」が設けられており、一瞬でネタバレが目に入ってしまう「事故」防止策が取られてる場合が多い。

・ネタバレ設定をする – Filmarksヘルプセンター
▲映画レビューサイト「Filmarks」のネタバレ設定に関する説明ページ

「濃度」という考え方

しかしこれらの方法は、完全なるネタバレのない世界を実現できるものではない。前述のように、ネタバレの定義が受け手によって変わってしまう以上、発信する側の善意や匙加減ひとつで程度がブレてしまう方法は、結局は全ての「事故」を防ぐには至らないのである。ネタバレの定義は受け手によって異なり、それに対する配慮を全ての発信者に課すことも到底できない。

SNS

この問題について、私は「濃度」という考え方で納得している。ポイントは、「私はどこからがネタバレ」「自分はここまでならOK」という、ネタバレに対する許容ラインの「濃さ」を見極め、まずはそれを自覚することにある。その許容ラインは、正確には千差万別というより、グラデーションのように緩やかな段階でもって存在しているのだろう。大まかな感想すら一切タブーな人は「濃く」、核心的なネタを知っても構わない人は「薄い」。そしてその間には、受け手個々人による無数の許容ラインが存在する。だからこその、「濃度」なのだ。

そして、自らとその「濃度」が近しい人を常日頃からフォローし、そのアカウントのツイートを中心に閲覧する。そういう環境を自ら整える。もしくは、ネタバレを恐れる一定期間だけそちらに移れるような、リストを作って管理する。・・・などと、日々のTwitter利用の中で、自分と近しい「濃度」によって流れていくタイムラインを作る、その「タイムライン作り」こそが、実は最高最善の「ネタバレ防止策」ではないかと思うのだ。

「ネタバレの定義が受け手によって異なってしまう」のならば、その受け手である自分自身にとって最高に居心地の良い空間を作ってしまう。それが、私の提案する、SNS社会におけるネタバレとの付き合い方、些細な処世術である。もちろん、「落としどころ」という塩梅はいささか拭えないが。

しかし世の中には、悪意を持ってネタバレを送り付けてくる輩もいれば、そうと分からない言い回しで肝心な展開を明かしてしまうアカウントも存在する。人の「知らない」という楽しみを積極的に奪ってしまう、そんな無法者がいるのだ。実に嘆かわしいが、彼らのツイートを制限することも事実上不可能というのが、どうしても解消できない点である。究極は、ネットそのものを絶ってしまう他にない。

映画とTwitter、その親和性の高さは言うまでもなく

近年は、Twitterにおける口コミでじわじわと興行成績を伸ばしていく作品も少なくない。一昔前は「口コミで話題に!」と言われてた現象が、段々とSNSにその場を移しつつある。口頭による伝達よりはるかに拡散性の高いSNSは、作品に対するポジティブな感想も、場合によってはネガティブな感想までも、その作品を知らない人に届けることができる。

大作の公開日には作品名や公式ハッシュタグがトレンドに並び、マイナーな作品であっても、それについて熱く語ったブログ等がTwitterでバズることがある。また、核心的なネタに触れることなく、それでも上手い具合に感想を語るツイートをしてくれる人もいる。だからこそ、TwitterというSNSと、映画というコンテンツは、一緒に盛り上がることができるはずなのだ。私自身も、Twitterの盛り上がりを感じて観る映画を決めたことは、一度や二度ではない。タイムラインは、往々にして独特の「熱」を持つ。

情報の拡散性・伝達性の高さは、それが招く不幸もあれば、これでもかと「面白さ」を感じさせてくれることも多い。Twitterを使うことで、スクリーンの中にある「面白さ」のほんの一部でも、タイムラインに持ってくることができれば。そんなふうに考えながらツイートボタンを押している人もいるのではないだろうか。ネタバレとも上手く付き合いながら、より効果的に「面白さ」を伝達させたいものである。

結騎 了

ゆうき・りょう。仕事と育児に追われながら「映画鑑賞」「ブログ更新」の時間を必死で捻出している一児の父。歳はアラサー、地方住まい。ブログを学生時代から書き続け、二度の移転を経ながら十数年継続中。現在は副業として営む。『週刊はてなブログ』『別冊映画秘宝 特撮秘宝』等に寄稿。

関連記事