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「Second Life」の十余年を支えてきた自由表現。インワールドで自分が見てきたこと。

secondlife_kumicyo

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はじめましての方はこんにちは、そうで無い奴ぁ押忍!組長(@vang_adamczyk)です。今回この場をお借りしてあの「Second Life」の記事を執筆させていただく事になりました。
あの「Second Life」が具体的に何を指すかは読まれる方それぞれだとは思いますが、書ける限り綴っていこうと思います。

ただまず…皆さんSecond Lifeをどこまで知っていますか?
知ってる方も知らない方も、とりあえず類似性のあるサービスを挙げると…

  • PS HOME (サービス終了)
  • meet me (サービス終了)
  • Minecraft
  • 3D作成ソフト(Blender等)
  • 様々なツクール系ソフト
  • 様々なチャットツール
  • 各種エディタ

既に終了しているサービスもありますが、大体この辺りが類似性を持つと思われます。
ゲーム・チャット・エディタなどサービスの性質がバラついてますが、これらをひと括りにしつつ興味・関心によって入口が幾通りもあるのがSecond Lifeだと思っています。

1st ~Light Up The World~ 2007

自分を含めた2007年にSecond Lifeを始めた世代は、先述と比べると幾分狭い入り口でSLに入りました。いわゆるSecond Lifeバブルと呼びなわされた時期です。知名度だけはマスコミ等によって高められていたものの、実態がわからないままユーザー登録を済ませ、デフォルトのアバターを見て一度は落胆し・・・。
過去にあちこちで色々と言われていた事なので、ここでは一旦割愛します。

さしあたりざっくり言ってしまうと、何らかの能力を持つ者と持たざる者がごった煮で押し寄せたという意味でも「バブル」だったのだと認識しています。

持つ者はすぐに、 インワールド(Second Lifeの中の世界)で名のしれたメーカーになったり、知名度の高い「sim」と呼ばれる土地サーバーのオーナーになったりと、雄弁な表現者になりました。持たざる物は表現者の創造物や表現に触れて、アバターの完成度を高めたり会話の材料として消費していました。
両者の関係は今に続く、現実での生産者と消費者のような関係性を簡潔に再現したものです。

思い返してみると、この持たざる者の中にいた「自らが表現者である事を知らぬ者達」の多くが今のSecond Lifeを支えているように思います。今の自分を表すなら、まさにそのような形容になるのでしょう。

ともあれ自分は、混沌としたSecond Lifeバブルのさなかにあちらの世界に現れたのです。
こんな姿で。

左は2007年に一旦完成させた自分の初期の頃のアバターです。
ちなみにこの姿でインプレスから出版されたSecond Lifeマガジンに掲載されたりしました。
中央はあえて言うなら中期のアバターで、この頃は自分で服を作り始めた時期でもありました。今の自分に続く原点のような服で、この服は形を変え今でも販売しています。
右が現在のアバターで、この服もテクスチャーは自作です。

ここであえて三種の外見を提示したのは、読み進めるに辺りそれぞれの姿の時代に方向性の違う事柄を観測し、自身にそれが明確に反映されている為です。
些末な事ですが「この頃はこんな外見だったのね」と、気に留めて頂けると幸いです。

2nd ~Gold digger~ マネーゲーム

初期の頃のアバターになる少し前、自分も他のユーザーと同様に世界内通貨のリンデンドル(以下LD)を得る為、キャンプと呼ばれる集客用の集まりに参加していました。場所にもよりますが、一時間キャンプに参加することで1LD程を手に入れることがほとんどだったと記憶しています。

細かい計算は省きますが、交通量(土地・区画にどの程度人がいたかをあらわす数字)を目安に人が更に集まるという仕掛けになっていたので、人気を集めたい単独店舗やモールのオーナーは多少身銭を切っても交通量を上げようとしていました。

当時も今も無料のアイテムは数多くありますが、好みに合う物あるいは単純に良い物を手に入れたいと思った時に限って、有料のアイテムである事が往々にして発生し、緩やかに課金を促されていました。やはり今も昔も課金は心の敷居が高いのですね。懐かしいです。

もっともSecond Lifeの場合、LDの額面は1LD=$0.01というような感じなので「1000LD!高!」とか思っても現金で見ると大した事ない事がほとんどです。詳しいレートは公式HPのLD購入の画面で確認できるのですが、執筆中現在の最低購入額は$2.50で627LDとなっています。日本円にすると274円ですので半分以下です。

ですので、しばらくキャンプ生活をして「冷静に考えるとたかが1LDに時間を割くのは無駄だな。」と思った人は、現金を投入していたように思います。今はLDキャンプという物はありませんが、ソシャゲ等の普及で課金に対しての敷居が低くなっているのか、わりと普通に課金している人を見かけます。
当時の初期アバターは「飾り立て・いじり倒し」が今よりも強く要求されていましたので、誰しもLDが欲しかったのです。

現在のSecond Lifeビューワで再現できる当時の初期アバターの図。
シェイプと呼ばれる体型の数値をいじる事で見た目を変化させる事ができるが、初期の行動としては比較的難易度が高い。
この場合、左より右の方が何かしようという意思が見えるので少しマシに見てもらえるワケです。
ですが、この顔は駄目です・・・自分のメッシュアバターのシェイプを直に反映させたので顔はちょっと・・・。

3rd ~Having My Baby~ アバタートーク

アバターの外見はそのアバターの発言力に等しいと言う部分がありまして、初期アバターに毛が生えた程度(文字通り髪型程度の人は多かった!)より、手のこんだアバターで全体のバランスが取れている方が、信頼度は高く受け取られていたと思います。そうして構築した信頼度をもって、初期の自分は新人ユーザーの集まる場所で活動していました。

冒頭に触れたとおり、2007年のSecond Lifeでは持たざる者が殆どだったと思われました。

「何が出来るか?チャットと消費しか出来ない。」
「ではどうする?そういう奴は多いぞ?一緒に騒ぐか?」

気持ちの荒れた新人ユーザーの場合、おおよそこんな気分の流れになっていたのではないかと思います。そのためか、不特定の新人が多く集まる場所は騒がしく頻繁に荒れていました。今でもどちらかと言うと美形アバターの方が多いと思うのですが、そこは当時も同じで、そういうアバターは美形に作れない者からはあまり好かれていませんでした。(自分、美形ではありませんし目指してもいませんしマッチョ最高かっこいいのが大好きです。)

当時を振り返ると、自分はどちらからも浮いていたと思います。しかしこの外見(太いマッチョな体系)で関西弁を終始喋っていたらどうか?これが割と美形の人にもそうでない人にも受け入れられました。反感を受けなかった訳ではないですが。

「面白く話そう。」

ただそれだけが当時の自分に出来た事でした。
そして外見に合わせたテキヤのていでインワールドの中で振る舞うようになり、言動も振る舞いに合わせたものへ変わっていきました。一言で言うと寅さんだったと思います。人と人との間でその様に振る舞おうとすると、何故か寅さんになりました。

そして自分のアバターの裏付けのために、振る舞い方に合った最適な居場所を求めました。

4th ~Glory Days/Turning Tables~ 栄枯盛衰

当時自分が最初に得た居場所は、有名店であり今でも知る人ぞ知る伝説の遊郭「鈴屋」でした。どうして鈴屋にたどり着いたのかは覚えていませんが、一度行ってからは必ず向かう好きな場所になりました。手続きを済ませてプライベートな空間に移動すれば、遊郭ですのでそういう事も出来ましたが・・・。一番の目玉は一階フロアでのオープンチャットでした。

ここは好みが出ると思うのですが、基本的にSecond Lifeにいる人の共通点はSecond Lifeをしているということ以外ありません。Second Lifeの知名度が一気に上がり、様々な趣味嗜好の人たちが集まったため、共通の話題は意外と乏しかったのです。
ですがその分、通常では知りようのない事が会話に出てくる事も多く、その話題自体がSecond Lifeとリンクしている事もままあったので、ただ会話しているというだけでも何かのためになったりする事があったのです。

しばらくして鈴屋は閉じて、女将は別の場所で小料理屋のような小さな店を始め、自分はそこにも通っていました。女将自身も表現者だったので、鈴屋から割と近い場所でそのお店を営業していたのを覚えています。

今でも、とある鈴屋出身の元遊女はANOTHER DOORという店で接客をしていたりしますし、自分は女将とは仲が良くたまに中で会う時があります。自分に反感を持つ人がいた理由の一つです、そりゃあそうですよね・・・今は判ります。

左は遊郭「鈴屋」での一幕、右が女将。中央と右は後述するosaka での日常の一部。このレーザーブレードを作ったのは・・・。

鈴屋で会話をしていた時に、ヤクザなのに事務所がない事を突っ込まれた事があり、それを機会に明確な居場所を更に求めました。それが今はなき「osaka sim」です。「関西弁を喋るヤクザなんだから大阪でしょう」というとても頭の悪い行動でした。
少しだけ専門的な言葉を使うと、ヤクザ・テキヤロールプレイをする為に大阪というロケーションが必要だったのです。そういう理由で入居を希望する人はまあ自分しかおらず、simオーナーは「?」という反応で困惑しているのが言われなくても伝わりましたが、入居が認められosaka simの中期から後期までを過ごすことになります。

当時のosaka simがどんな所だったのかというと、例えばHPMD等の今でも続く有名店が隣近所のテナントにありました。さらには当時の有名simのビルドに関わった人たちが大勢osaka simに出入りしていた事などで、名の知れたsimでもありました。なんと言っても元住人のほぼ全員が、のちに一度はsim持ちになっているというのも特徴です。自分ですらフレンドと共同ですが、一度はsim持ちになりました。

当時でも普通は無い事だと思うのですが、何故か皆クリエイターであるにもかかわらず、たまり場のアウターヘブンや涼風喫茶にやたらと集まって、グダグダと駄弁っていたのもよく覚えています。
この時に自分は「Second Lifeは創作を自由にできる所である」という認識を強くします。そりゃそうですよね、自分の周りは殆どそういう人達ばかりだったのですから。

ほぼ同じ頃、スカルプという技術がSecond Lifeに導入され、今度はその技術を活用した自分の服を自分で作ることになります。それが中期のアバターの頃です、冒頭の画像でいうと襟や腕まくりした袖の部分がスカルプによるものです。自作した理由は、和柄の服が無かったことを建前上の理由にしていましたが、下記のように自作せざるを得ない理由があったのです。

  • リアルに実在したカジュアル和柄のテイストが濃く、自分好みではなかった
  • リアルでの好みである、絡繰魂や花鳥風月、錦や参丸一や花旅楽団等の和柄をオマージュしたかった

自作の和柄の服以外だと、sayというSecond Life内のブランドの服を着ていることが多く、そのブランドのジャケットを良く着ていていました。osaka simには、魅力的なお店がたくさんあったので、「このアクセサリーいいな」と思ったら、買って使うことも頻繁にありました。
osaka simにいる人の半分ほどは、タイニー(小さなマスコット的なアバター)でしたので「ガラの悪い猫※」でいる事も結構ありました。
※自分のタイニーアバターの作者である、あちゃも氏談

そんな楽しいosaka simでしたが、終わりの時が来ます。
今振り返ってもやはりosaka simでの時間は楽しく、そこで得たものを他所のカフェなどに行って常にばらまいていました。simの終わりというのは色々とあると思うのですが、おそらく一番知られているのはじゃぱらんどの閉鎖だと思います。
住人ではなかったので細かい事は記述しませんが、オーナーによる住人の切り捨てが行われたのだと認識しています。メディアへの露出も多かったsimでしたので、その飄落は多くの人達の記憶に刻まれました。

当時じゃぱらんど内に設置された告知文。しかしこれはオーナーからではなく第三者による救済を伝えるものだった。
この事件によって「simオーナーの都合で、simは消える」という事を思い知った者も多い。
画像はTwitterのフォロワー様から許可を得て掲載。

ただ誤解のないように伝えるなら、simの消失自体にはSecond Lifeへ与える影響は全くなく、例えるならばインターネット上のサービスや企業HPが一つ消滅した程度の事です。

osaka simの場合、崩壊は一部住人によるオーナーへの離反によって始まりました。次第に離反への賛同者は増えて話が大きくなり、オーナーと住人との間で会見の場が持たれましたが、寄り添う事はありませんでした。

今思えば正当な理由があったとしても、オーナーから見た問題はあくまで個人間の事だったのだと思います、しかし住人はそうと受け取らなかったのです。齟齬のある状態で会見を行ったのですから上手くいく訳がありませんでしたし、その後の総脱退は避けられなかったと思います。
例えるならば、会社のOLが上司のセクハラで総退職したような物です。じゃぱらんどもosaka simもいわゆる「MMO」とは違い、基盤となるsim自体がユーザー管理による物であるため、人の情動の影響を強く受けてしまうのです。

手元に残る脱退中のosaka simの全景。この後オーナーによる仕切り直しが行われ日本人のいないsimとなった。
右はneo osakaで作った古民家店舗。

osaka simは海外でも名のしれたsimでしたので暫くは続いたようですが、自分は直後に別オーナーによるneo osaka simのビルドを少し手伝い、同時に仲間と三人でOTHER SIDEというsimを得て活動の場を移しました。

OTHER SIDEの頃の自宅兼店舗。後ろはメルセス・アンのsimが連結していました。
この時代も楽しかったのですが、外的なある事情で長くは続きませんでした。

5th~new world~2016

2010年頃、自分は一度Second Lifeから遠ざかります。
リアルの事情が絡んだ事でしたので、引退というような考えはありませんでしたが、そのまま終わるならそれはそれでという気分もありました。その頃はメインランドという、運営・開発元のリンデン・ラボが管理運営する土地を間借りしていたので、放置していればそのうち抹消されるであろうとも思っていました。(事実そうなりました。)

6年の間Twitter上で当時のフレンドとの会話は引き続きありましたし、趣味が多いので何もしていなかったわけではなかったのですが、OTHER SIDEでの活動を続けられなかったことはずっと心に残り続けて、ある時再びログインします。

再びログインしたのが2016年頃だというのが、インベントリに残る画像のタイムスタンプを確認してわかりました。Twitter上でその頃のSecond Lifeが相当に様変わりしているというのは知っていましたが、実際に見るインワールドは古い物と新しい物が入り交じる世界でした。具体的には、アスファルトの地面や板壁等の形状の単純な都市や家屋の大枠が内部製のオブジェクトで作られ、細かい部分は外部作成のメッシュオブジェクトが使われるようになっていました。

とあるイベントでの光景。自分のPCスペックの事もあるとはいえ、以前とは比較にならない世界構築が出来ている。

自分が活動を休止した2010年では実験的だったメッシュがかなり本格的に導入されており、アバターにも高精度のメッシュアバターが投入されていました。しかしメッシュアバターの種類が多くなった分、どれを選べば良いのかもわからず、困った自分はその時まだ残っていた古いフレンドに助力を求めました。筋肉最高かっこいいアバターが好きだというのは既に理解されていたので、niramyth-Aestheticというボディを勧められ使用しています。現在では更に、このボディ用の服を作るようになっています。

左は日本でのイベントにて撮影。右は常設されたsimで撮影した物。
左は2007年の顔。右は現在の顔。
アバターの精度が上がった為、作りの合わない目元をサングラスで隠す必要がなくなりました。
脱いだらもっと凄いんですが自重します。

こちらは後述するイベントの打ち上げ的な物の記念撮影ですが、右端の鳩2つ以外全て参加ユーザーのアバターです。
これを見ていただくだけでもアバターの幅の広さと精度は多少わかって頂けるかと思います。

復帰して明確に違うと思ったのは、多種多様なイベントが各地で開催されており、それらを巡るだけでも時間があっという間に過ぎていく事でした。さらにはイベントの告知に利用されるのが、それまでのブログやマイナーなSNS等でなくFlickrやTwitter、Instagramなどの知名度の高いSNSも活用されていて、情報の領域がSecond Lifeを中心とした周辺域だけでなく、一段階上のポピュラーな扱いになっていました。
国内であれば、いべんさ・すりんく等の検索サイトが活用されていて、日本人の集まる所にすぐに行けるようになっています。

6th ~On My Own~ 領域、新た也

個人としては、初めてイベントに参加した事も大きいです。ヤンキーフェスティバル及び、勤労フェスティバルという国内イベントですが、とても楽しかった。

上記2つのイベントは、今のSecond Lifeに存在する他のイベントと比較しても一風変わった所がありました。今も昔も通常のイベントでは、おしゃれな雰囲気の中、おしゃれなアイテムを揃えて・・・という雰囲気である事が当たり前のようになっているのですがヤンヘス&勤ヘスは違っていて、どちらかと言うと泥臭いというか・・・。

イベント名の通り、ヤンキーアイテムや悪羅悪羅系(ウチだけ)を中心とした「遊び」を軸としていて、過去のSecond Lifeの空気を漂わせるような物でした。言うならば「古き良き時代」といった所でしょうか?
古き良き時代といっても、イベント内で取引されるアイテムは過去の物などではなく今の技術で作られた物ですので、精度などは明らかに勝っていました。それにイベントに対してのアイデア等も参加者同士の協力もあり、楽しく仕上がっていました。参加者はたいていイベントの運営にそこまで関与しない事が殆どですが、ヤンヘス&勤ヘスは割と参加者が積極的に参加していました。

ヤンヘス2の時の光景、こちらは開催直前のお客さんがまだ入っていない時のものです。
下はヤンヘス1の時に自分が作った告知ポスター。
運営関係者が前面に出ていますが、よく見ると後ろの飲み屋に自分、います。これ言ったの初めてです。
こちらは勤ヘスの時の物。右画像に見える各所の足場を駆使して、ビル屋上等に配置されたアイテムを取って回るというイベント内イベントがありました。
タンクトップとデニムは自前ですが、取得したアイテムのタオルを装着したら作業員風に・・・。

勤ヘス終盤には鬼ごっこ的な突発イベントも開催され、それにはイベント参加者有志が手を上げてイベント会場を縦横上下無尽に駆け回りました。アイテム集め等の関係で走りながらビルに飛びつくと、そのままビルをかけ上がれると大体の鬼側の参加者は皆知っていたので、足場を使わずに上へ上がる事になり・・一般参加の方を結構巻いたと思います。

両ヘス・イベントに誘ってくれたザレさんには感謝しか無い。色々な思惑で今は中断しているイベントですが、いつか・・・。

7th ~The Longest Time~ 閑話休題

ところでさらっと書きましたが、自分がSecond Lifeの凄いなーと思っている所は実はこの、6年経っても戻ってこられる所なのです。もちろんスカルプやメッシュの導入、更に最近ではアニメッシュの導入などでどんどん様変わりしているのも事実ですが、別にそれらに触れなくても良いのです。
アバターだって別に好きならクラシックアバターや初期アバターでいても良いのです。今の初期アバ、それなりですが結構良いですよ?シェイプはいじる必要がありますが、土台が良ければアバターを作る難易度は下がりますし。

勿論先に書いたようにアバターの外見は発言力ともなりやすいので、なるべく最も好みの外見にしていく事が望ましいです。

ぱっと出てくるものでsignature・Slink・TMP・Belleza・niramythなどのメッシュボディがありますが、大体どれも平均2500LDと高額です。ですので、まずは初期アバターで参加して出会った人のアバターを見て、相談しながら決めていくのが良いと思います。
さしあたりniramyth以外のメッシュボディは、手先・足先・頭等が体とは別売になっている事が多いです。
初期アバターの人から外見の相談をされたら古参の人達は助けてあげましょうね。niramyth についてなら勿論自分にも聞いてください。

同じブランド、niramyth-Aestheticボディでシェイプを変えた物三態、左が太く右が細くなっています。
真ん中は(見えないですが)見た目より腹が出ていて割と胴長短足です、あと顔に拘って西洋顔をアジア顔にしています。

また内部で販売されているアイテムは、アバターアイテム以外にも家具などの設置アイテムも多くあります。庭を飾る樹木等も無数に存在し、制約のない土地さえ用意できれば自分の望むままの自分の世界が構築できます。もちろん自分の世界の構築自体は3Dソフトがあれば、似たような事は出来ます。しかし・・オフラインの庭には自分しかいられません。
Second Life上に構築する事で、そこで誰かが楽しんでくれる。それこそ友人を呼んで楽しんだりも出来ます。何よりオブジェクトの全てを自分で作る必要が無いのです。

左は自分の店舗及び庭の光景と、右はまさに家や庭の話を書いていたこのタイミングで来ていたフレンドの撮影したスクリーンショット。あまりにベストのタイミングでTwitterにUPされていた為許可を得て掲載。

自分の所は、以前に秩父へ遊びに行って見た物を、ごちゃまぜにして再配置したような所です。その頃はまだ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」というアニメーションの舞台が、秩父である等の情報を知らなかったので、結果的にそれっぽい要素は抜く事が出来ました。限界集落のような感じですが、意図してそのようになっており犬好きなので犬があちこちにいます。

画像にある全てを自分で作っていたらそれは膨大な作業でしょうし、どことなく自分のトーンでまとまってしまいます。それはそれで良いかもしれません。しかしリアリティを求める場合、自分だけで完結させることが難しくなります。その理由を解説する上で、以前「王立宇宙軍」という映画について岡田斗司夫氏が語られた事が一つの指針になります。

岡田斗司夫氏、曰く
世の中の物は一人のデザイナーにデザインされてはいない。様々なデザインが混ざり合って世の中を形作っている。

実際「王立宇宙軍」では複数のデザイナーがプロップデザインを行って一挙に投入する事で画面のリアリティを向上させています。

同じ事がSecond Lifeの景観作りでも言えると思います。ブロック塀と家屋が同じデザイナーの作である訳が無いのですから。アバター及び土地建物による表現は、Second Lifeにおいて形を変えながらも古くから行われてきました。表現の中心に自分が存在するゆえに、客観的な時間は関係ないのです。

恐らくですが、そのことが6年を経ても簡単に戻って来れた理由ではないかと思います。違う部材で同じニュアンスを6年後に再起させるのは、本人の意志さえあれば出来る事ですし、時間の経過分クオリティは圧倒的に上になります。

8th ~Do You Wanna Touch Me~ 宜しければ

相当に長くなりました、この長い文章を最後まで読んでいただきありがとうございます。それでも、今回あえてそれほど触れなかった部分は当然あります。

例えば、Second Life黎明期からあり続けるアダルト界隈等はその最たるものですが、もしその辺りにも興味があるようでしたら・・・それはご自分で確かめてみてください。アバターの質が向上した分ビジュアルは良くなっていますよ。中には「Second Lifeはエロゲー」とまで言う猛者もいるくらいですので、まあ楽しいんじゃないでしょうか・・・。

アバターのジャンルについても、今回の説明ではヒューマノイド型のみに留めています。本来ですとFurry(獣人)やタイニー(小さいの意。マスコット的な外見のアバター。)等の非人型アバター、ジャイアントアバター等の極端なサイズのアバター、変形やアクションもしくは美麗な造形等の特徴を持つロボットアバター等の説明も必要かと思うのですが、自分の経験に対し占める割合が小さい事もあり割愛しました。

もし、あなたがSecond Lifeに興味とご縁がありましたら、インワールドでお会いしましょう。

この記事が出る同時期の3/14~3/17の期間、埼玉県東松山市のギャラリー&カフェ亜露麻(アロマ)にて、セカンドライフ写真展「仮想世界を撮る」という展示会が開催されています。
https://coretoday.blogspot.com/2019/02/blog-post.html

詳細は上記URLにてご確認ください、自分も参加していますよ。会場は仮面ライダーキバの劇中でカフェ・マル・ダムールというお店のロケに使われたお店なので、そういう筋の方もどうぞ。近くには仮面ライダー剣(ブレイド)でハカランダのロケ地になったお店もありますよ。
最後に、自分の店舗のSURLを貼って終わりにいたします。

KURA-YA japanese style clothes shop for niramyth-aesthetic

組長

雑食ツイ廃。元玩具店員だったり元車屋だったり元コンビニオーナーだったりと生態も雑食。 古い時代から最近までのサブカルチャーがお好み。 Second Lifeの記事が初ライター仕事なのでnoteはこれから。

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